来院する患者さんを見ているといわゆる真面目な人が多い。どういうわけか、不真面目な人はいないのである。あらためて、何人かの人に真面目のイメージを聞いてみた。いわく、几帳面、何でも一生懸命な人、規則をよく守る人などの意見であった。臨床場面で病気と真面目さとの関連を考えてみると、真面目な人は本音の自分を殺し、困難や、問題に直面すると自責的になり、結局自身を追いつめて病気に陥るというパターンのようである。いわゆる真面目とは自分を殺し、周りの規範に自分を合わせて生きることのようである。しかし、広辞苑を引いてみると、真面目とは「まごころのこもった態度、顔つき」とある。本来はありのままの自分を示すことが真面目なわけである。
また、真面目な人は概して遊び下手である。むしろ"遊びは罪悪"のイメージがある。ここで、冬山登山を考えてみよう。凍った雪の坂道を重い荷物を背負って登るわけである。いつ天候が悪化して身動きできなくなるかわからない、いつ雪崩に巻き込まれるかわからない、また谷底に転落するかわからないといった、寒さや苦しさ、恐怖との闘いである。これらを乗り越えて頂上を征服したときの喜び、満足感、達成感はひとしおであろう。こうして頂上を極めた人は次はもっと大変な山に挑戦したくなるものである。
一方同じ山に他人から強制されたり、義務で登る人だとどうだろう。寒さや苦しさは一段と厳しく感じるだろうし、恐怖の中に、惨めさや情けなさも加わるだろう。頂上についても安堵感はあるだろうが、こんな苦しい思いは二度と嫌だと思うのではないだろうか。
困難をも遊びにとらえる人は何事も楽しんでいけるだろうし、義務的にとらえる人は人生すべてが苦しみと、重荷にしかならない。本来の真面目に立ち返って、充実の人生を送りたいものである。