パブリシティ紹介

2014.10.15更新

"心の病気の背景にも「冷え」あり„

フィッテ12月号に於保先生のインタビュー記事が掲載されました。

興味のある方は、ぜひお読みください!!





投稿者: オボクリニック

2014.09.06更新

投稿者: オボクリニック

2013.09.02更新

 「ドクター・オボの自信が湧いてくる心理学」電子版の
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投稿者: オボクリニック

2013.08.03更新

 
石黒由美子の夢オリンピアン朝日新聞 (本紙記事より)
夢を胸に泳ぎ始めて16年、北京五輪の舞台に立った石黒さん(中央)
夢を胸に泳ぎ始めて16年、北京五輪の舞台に立った石黒さん(中央)

 「水中の泡」を模した透明な天井から、きらびやかな光が降り注ぐ。控室を出てプールサイドに立ち、それを全身に浴びると、同時に視界が開けて、これまでの競技生活で見たこともない、1万7千人もの観客が目に飛び込んできた。
 「これが五輪――。本当に、この場に来たんだ」
 2008年8月22日。北京五輪のシンクロナイズド・スイミングで、石黒由美子さん(29)はチーム種目を演じる8人の中にいた。緊張は全くなかった。やれることは、全部やってきたから。
 順風満帆ではなかった。泳ぎは下手だったし、病気もした。何より、二度の「大けが」は、五輪選手の夢を閉ざす致命的な障害だと周りの誰もが思った。1度目は「顔」に、2度目は「心」に負った、あまりに深い傷。それを乗り越え、やっとつかんだ舞台だった。
 最初の試練は小学校2年生の秋。クラシックバレエのレッスンを終え、帰宅しようと乗り込んだ軽自動車に、暴走車が正面から突っ込んできた。
 衝撃で頭からフロントガラスに突き刺さり、大学病院で7時間の手術を受けた。顔面粉砕骨折に網膜剝離(はくり)。右のほおが耳元まで裂け、顔だけで540針、口の中は260針も縫った。
 「顔中の神経が切れています。表情をつくることも難しいかもしれません。言語障害なども覚悟してください」。医師の説明に、母和美(かずみ)さん(56)は言葉を失った。
いしぐろ・ゆみこ 東京都生まれ、名古屋市育ち。北京五輪(08年)シンクロナイズド・スイミングでチーム5位。

視野欠け、聴力戻らず

入院中の病院で(石黒和美さん提供)

 「普通学級に戻るのは、難しいかもしれません」
 石黒由美子さん(29)が7歳で交通事故に遭い、半年の入院を経て退院する時、母和美さん(56)は医師から告げられた。
 失明は避けられたものの、視野は欠けたままで、聴力も戻らない。事故前の記憶を失ったうえ、言葉がうまく出ず、数字の大小も分からなくなっていた。外傷性の脳の機能障害、というような医師の説明だった。
「絶対治る」。顔中に540針も縫った傷痕が残る娘を、和美さんは明るい声で元の小学校へ送り出した。
 家庭でも、言葉のリハビリになればと、目に留まった物事を次々と実況中継のように口にして、浴びせるように娘に語りかけた。視力を取り戻すために有効だと聞いた遠方凝視と、蛇口からしたたる水滴を目で追う訓練も、親子の日課になった。
 シンクロナイズド・スイミングは、入院中に本人が「やりたい」と言い出した。お気に入りのテレビドラマが、シンクロ選手の物語だった。退院してほどなく、地元・名古屋市の専門クラブの門をたたいた。
 だが、三半規管にダメージが残っていて、真っすぐ泳げない。右目は完全に閉じられず、プールの水で真っ赤に腫れた。視野も狭く左右50~60度しか見えないので、不必要に首を動かしてしまう。音楽をかけた練習では、音が聞き取れなくて振り付けが遅れた。
 「泳げます、って入門してきたのに......」。クラブの代表者でヘッドコーチの鵜飼美保(うかいみほ)さんはあっけにとられた。手足の長さと体の柔らかさという「持ち物」の良さは目にとまったが、競技選手を養成するクラブでは、力量のない子に手取り足取りはしていられない。
 1年経ち、2年が過ぎ、小学校高学年になってもシンクロの成績は伸びず、予選落ちを繰り返した。
 ある日、演技を撮ったビデオを見て、画面の中の自分の姿に驚いた。頭の中のイメージと違って動きはぎこちなく、にっこり笑ったつもりだったのに、右半分だけ張り付いたように動かず、ゆがんだ顔が映っていた。
 「でも何とかして、まずはジュニアの全国大会でメダルを取りたい」。そのころから、目標は五輪、と心に刻んでいた。
劣等生、一転エースに


大学2年生の日本選手権で。成績が伸び、自信満々だった(本人提供)

 小学校3年生でシンクロを始めたが、幼少時の事故の後遺症で、まともに泳げない。でも、「五輪に出たい」という夢を支えに、石黒由美子さん(29)は歯を食いしばって練習した。
 努力が実を結んだのは、6年生で出場したジュニアの全国大会。技術の正確さを競うフィギュア種目で5位に入賞した。無名の選手が名前を呼ばれて、会場にどよめきが起こった。
 地元名古屋のシンクロ・クラブで、「落ちこぼれ」が一転エースになった。練習場所もプールの端から真ん中に移った。
 ところが、中学生になって早々、極度の疲労感に襲われるようになった。椅子に座ろうとしても倒れ込んでしまうほどで、演技中のスタミナも続かない。
 病院に行き、感染症による腎炎と診断された。「絶対安静。シンクロの練習は控えて」と医師から言われた。
 でも、1日でも休んだら体が動きを忘れてしまう。医師に内緒で練習を続けた。処方された薬も、ドーピング違反になるのが怖くて、できるだけのまなかった。「オリンピックに行くんだもん。逆にこのくらいでないと、ドラマにならないじゃない」。投げ出したくなる自分に、そう言い聞かせた。
 猛練習を続けたのに、幸運にも腎炎は治まった。シンクロの成績も、再び上向き始める。
 高校2年の夏、ジュニアの全国大会で準優勝し、翌年、日本代表に。米国で開かれたジュニア・ワールドカップでチーム2位と、世界の舞台に躍り出た。
 事故の後遺症は、シンクロの練習が結果的にリハビリの効果を上げ、克服しつつあった。
 右半分にマヒが残り、ぎこちない表情しかつくれなかった顔の動きは、代表合宿でダンスの先生がトレーニング法を教えてくれた。「ほおを上げて、下あごを前に。歯を全部出す!」。左右のバランスを整えるよう意識しながら、毎日鏡をのぞき込み、使い切りカメラや携帯電話で「自分撮り」を繰り返した。
 実績は、国内外の大会で着実に積み上がった。大学受験にもパスした。絶好調だった。
 2003年12月、20歳で迎えたアテネ五輪代表選考会。日本代表9人の枠には絶対入れる。そう信じて疑わなかった。

代表落選、心が折れた

2004年の国際大会で演技する石黒さん(左)。過食症に苦しんでいた(本人提供)

  五輪に行けるシンクロ選手は計9人。2004年のアテネ大会に向けた代表選考会は、03年暮れに行われ、選手の演技の後、順位が口頭で発表された。
 石黒由美子さん(29)は、10番。あと1人、届かなかった。
 「つらい練習に耐え続けた、あの努力と時間は、いったい何だったの?」。20歳の無防備な心が、音を立てて折れた。
 五輪に行く日本代表Aチームには入れなかったが、依然としてBチームのトップ。練習は再び始まった。でも、以前のようには身が入らない。
 アテネ後。代表選手の半数が引退し、ワールドカップに向けた強化合宿が始まったが、大学の教育実習と重なって、心身の疲労とストレスはピークに達した。それが、過食症の引き金を引いてしまった。
 不安と眠気を紛らすために、常に食べ物を口に入れていないと気が済まない。じわじわと体重が増えた。シンクロ選手にとって、少しの太り過ぎも御法度。代表の合宿には居られなくなった。教育実習の単位を落とし、留年が決まったことも追い打ちをかけた。
 シンクロクラブを去り、自宅を飛び出してアパートにこもった。小さい時からずっと励まし続けてくれた母和美さん(56)の存在さえ、疎ましく感じられてならなかった。家族が近づくと、物を投げて暴れた。冷蔵庫に首を突っ込み、炊飯器を抱え込んで、手当たり次第に胃袋に押し込んだ。体重はあっという間に80キロを超えた。
 そんな自分が嫌で、頭をコンクリートの塀に打ち付けたり、大量の風邪薬と一緒に焼酎を思いっきり飲んだりもした。自暴自棄になっていた。
 どん底から助けてくれたのは、友人たちだった。
 インフルエンザで伏せっていた時、幼なじみが通い詰めで看病してくれた。その姿を見て、中学生のころの決意を思い出した。「後遺症や病気を克服して五輪選手になって、みんなに勇気を与えたい」。人の役に立つ、それが元々の目標。ならば五輪選手である必要はない。心がすっと軽くなった。
 大学の友人たちに迎えに来てもらって、引きこもりから半年後に復学。シンクロの再開は、考えもしなかった。

代表、襲う重圧

復帰初戦の日本選手権で演技する石黒さん(前列中央)=2006年5月、本人提供

 アテネ五輪の代表選考に漏れ、自暴自棄な引きこもり生活をしていた21歳の春。石黒由美子さん(29)は、友人らに励まされ大学キャンパスに戻った。
 教師になろうと、目の前の勉強に取り組んだ。採用試験の準備を考え始めた2005年の夏。シンクロクラブの後輩から請われて大会の応援に行った。応援しながら、涙がこぼれた。「やっぱり、あの舞台に立ちたい」
 以前は、自分のために五輪に出たいと思っていた。でも今度は、誰かに勇気をあげるために出たい。「これなら、たとえ結果がぼろぼろでも、もう一度、と立ち上がれるんじゃないか」
 一度やめたクラブの門を、再びたたいた。プールを離れていた約1年の間に、有力選手は着実に育ち、求められる技術の難易度も上がっていた。
 次の五輪は08年の北京。日本代表を決める最終選考会まで、残り2年間でランキングを上げなければならない。出場すべき大会を逆算し、目標の階段を一つ一つ上った。
 日本代表Bチームに復帰し、07年夏には有力な国際大会「スイスオープン」に出場した。演技の勘も取り戻し、ソロやチームなど3種目で優勝。その勢いのまま、12月の北京五輪代表選考会では、9人の代表枠に8位で滑り込んだ。
 五輪の舞台に立てる――。体が熱くなった。でも、落選した後輩たちに4年前の自分の姿がだぶり、もっと技量を磨かなければと自分を追い立てた。
 練習漬けの毎日が始まった。
 シンクロ競技では、多面的な力量が問われる。プールの中を縦横に泳いで移動するためのスピードと持久力。回転したり水中から跳び上がったりする特有の技術力。さらにダンスやバレエに通じる表現力。こうしたパーツを、音楽に合わせた振り付けに沿って組み立て、演技が完成する。やるべき練習は種類が多く、時間も長い。
 しかも、本番のチーム種目で泳ぐのは8人で、誰が補欠に回るかは直前まで決まらない。どの位置に入っても演技できるよう、全ての配置と動きを覚えなければならない。
 実践的な練習量が不足していた石黒さんを、プレッシャーが襲った。過食症が再燃した。

ありのままの私でいい

子どもたちに、夢を持つことの大切さを伝える=5月、岡山県の小学校

 2008年。北京五輪シンクロ日本代表に選ばれた石黒由美子さん(29)は、夏の本番に向けた強化合宿が始まってから、体と心の不調に苦しんでいた。
 シンクロ界から身を引いていた約1年のブランクによる、練習量の不足。レギュラーか補欠か、神経をすり減らすせめぎ合い。ストレスで、以前苦しんだ過食症が再び頭をもたげた。
 体重が増えて大失敗したアテネ五輪直後の経験から、体形維持には人一倍気を使っていたのも、裏目に出た。のどに指を突っ込み、下剤をのみながら、それでも食べずにはいられない。
 気持ちの浮き沈みが激しく、医師にかかって抗うつ薬をもらったが、全く治らなかった。
 名古屋市の自宅を離れ、東京での合宿が始まってから、都内で精神科のクリニックを開く於保哲外(おぼてつがい)さんを訪ねた。母和美さん(56)の知人で、以前から顔見知りだったが、患者として受診したのは初めてだった。
 「今のままでいいんだよ。大丈夫」。症状の訴えに耳を傾けていた於保さんは、こう繰り返した。「原因は自分を追い詰めていること。自分をありのままに受け止めることが彼女の唯一の治療法だ」と考えたからだ。
 その種明かしまでは聞かなかったが、数回の診察で、体重がすっと落ちた。あとは、息もつかず駆け抜けた。
 五輪本番。出場したテクニカルルーティンは4位。翌日のフリールーティンは控えに回りコーチ席から声援を送った。結果は総合5位で、メダルを逃し、苦い思いを味わった。
 しかし、帰国すると祝福の声が待っていた。障害を乗り越えて五輪の舞台に立ったことをたたえる報道が、一足先に届いていた。母の和美さんは言った。「由美ちゃん、勝ったね」
 年末の国際大会を最後に、現役生活に終止符を打った。大学院の博士課程に進み、いじめ問題を研究する。傍ら各地の小学校を回り、体験を交えて授業をするボランティア活動も始めた。伝えたいメッセージは「夢をあきらめない」。
 最近、その授業の中で、今の夢を語り始めた。「もう一度シンクロに復帰して、今度は世界一を目指したい」。目標は来年夏の世界マスターズ大会。また、挑戦だ。
(吉田晋)


投稿者: オボクリニック

2013.05.15更新

こころとからだの健康マガジン「パンプキン」2009年3月号 P16~P17私たちはストレスを感じたとき、不安や悩み、不満や怒りといった負の感情を持ちますが、それだけではありません。
体の中にある活力源ともいうべき生命エネルギーにもゆがみを生じているのです。
このゆがみは神経系や内分泌系に悪影響を及ぼし、免疫機能を低下させて病気となって現れます。
風邪などの病原菌による感染症をはじめ、肥満や高血圧、高血糖などによる生活習慣病などのさまざまな病気です。
がんも免疫機能が低下すると、体内に毎日5000個以上も生まれるとされるがん細胞の根をたたくことができずに、発症してしまします。
しかし、現実には元凶であるストレスをなくすことはできないでしょう。
そこで、ストレスをどう受け止めるかが大きな問題になります。

ストレスからすぐに立ち直れる人となかなか立ち直れない人・・・その違いは何でしょうか。
於保先生は「自分を見る目が温かいか冷たいかの違い」と指摘します。
物事がうまく進んだとき、自分を誇りに思う人は多いでしょう。
しかし物事がうまくいかなかったとき、頑張れない自分は無力な人間だと卑下してしまいます。
これではますます自信を失うことに。
むしろ逆境のときは、まず自分を温かく見つめ受け入れることが重要です。
そうすれば、頑張れない自分でも安心して自信を取り戻し、次第にストレスを乗り越えられる力を持つようになります。
どこまでも自分のもつ可能性を信じぬくことが、本来の力を発揮できる秘訣なのです。

投稿者: オボクリニック

2013.05.15更新

日経ヘルス別冊 P38~P39「ストレスがない」と言い切れる人はそういないだろうが、ではあなたは「何がストレスか」がわかっているだろうか。「意外と気づいていない人が多い」と、オボクリニック院長の於保哲外さんは言う。
「今は効率優先で、かつてないほど緊張度が高まっている時代。こうした"競争と不信感"がべースの世の中に適応しようとすると無理が生じるのは当然で、知らず知らずにそれがたまってきます。そんな中で頑張っている自分が、かわいそうで、いとおしいと思いませんか」(於保さん)。
この無理に気づき、ストレスをためないためには「"自分との関係"を良くすること」というのが、於保さんの提案だ。
自分の中には2人の自分"大人の自分"と"子供の自分"がいる。"大人の自分"というのは、道理をわきまえ、まじめで頑張り屋で、人に合わせ、堅苦しい、という側面を持つ自分。

投稿者: オボクリニック

2013.05.15更新

こころとからだの健康マガジン「パンプキン」2009年5月号 P118~P120自分が病気だという自覚のない人が多く、それだけに、病院に行かせることや薬を飲ませつづけることが難しいものです。妄想にしても、それが当人にとってつらいとはかぎらず、心地よい場合もある(自分が偉大だという誇大妄想など)ので、なおさらです。

病識のない患者を医者に連れて行くには、「あなたの話はおかしいから病院に行ったほうがいい」という言い方をせず、「最近あまり眠れないみたいだから、よく眠れるように、一度お医者さんに診てもらおう」とか「最近顔色が悪くて疲れているみたいだから、病院に行こう」と、身体症状を理由にして誘うとよいでしょう。
また、最初はわざと内科に連れて行き、その内科医から「あなたの場合、内科ではなく心療内科か精神科に行ったほうがいいですね」とアドバイスしてもらう手もあります。患者にとっても、最初から家族が「精神科に行きましょう」と誘うより、医師の言葉のほうが従いやすいからです。

投稿者: オボクリニック

2013.05.15更新

心いききヒントマガジン「パンプキン」1989年8月号 女性の一生は、婦人病と切り離せないわけですが、それに伴う心身症というのも増えてきていますね。
----------今回、於保先生と婦人科医の石川先生にお話をしていただくというのは、5月に「婦人病」の特集をしたところ大変に反響が大きく、なかでも婦人病が原因で心身症などにかかり、悩んでいる方が多いということがあったためなのですが・・・。
石川:そうですね、石川信子先生と私とでお手紙を読ませていただき、お返事を差し上げたりお電話をしたりしたのですが、心身症的なものはかなり深刻なものがありました。
於保:どんなケースがありましたか。
石川:卵巣や子宮の摘出手術をしたことが原因で自分や人生に自信を失い、自殺まで考えたという方や、子宮筋腫と診断されたけれどガンではないかと不安で、医師に聞くこともできず一人でいることに耐えられない方などさまざまでした。
於保:私の病院に見えている女性の患者さんのなかでも、併行して婦人病のために婦人科へも通っている、という方は多いですよ。
石川:女性は男性と違って思春期から老年期まで、女性特有の症状や病気と向き合って生きていかなくてはいけないのですよね。
於保:女性として生きていくうえで引き起こされる心身症というのもあるわけです。
石川:最近の患者さんをみていて感じるのは子宮内膜症の方が増えたな、ということですね。
於保:それはたしかに増えているように思います。
石川:子宮内膜症が増えたのは女性の結婚年齢が高くなり、それに伴って初めての出産年齢が高くなったせいもあるといわれています。

----------ストレスも関係あると聞いていますが。
石川:あるかもしれませんがはっきりしてはいません。昔に比べて仕事をもつ女性も増えていますし、ノンビリと暮らしていける時代ではないから、ストレスも当然増え、子宮内膜症の人が増えてきたのかもしれませんね。
於保:子宮内膜症と診断されてから、私のところへ来た方がいらっしゃいました。その方は、精神面の改善と併行して内膜症のほうも改善され、よくなっていきましたね。

投稿者: オボクリニック

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