ふれあい診察室

2017.04.18更新

宜しくお願いします。

投稿者: オボクリニック

2015.08.11更新

 真面目な人や頑張りやの人に共通して認められる傾向として、いつも「これではいけない」という気持ちが心の底に流れているものです。ふだんは気づかないことも多いでしょうが、いざ挫折したり病気になったりして行き詰まるとどうしても「これではいけない」という気分に陥ってしまうものです。そこから出発するものですからどうしても不安や焦りに突き動かされた考えや行動になってしまいます。結果は当然芳しくないわけですからますます不安や焦りが募ってきます。そして悪循環の泥沼に陥ってしまいます。
 心理学の用語に「基本的信頼」という言葉があります。生まれてから一才になるまでの間、回り、とりわけ母親との関係の中で安心感、信頼感が持てた場合、その後の生育に好影響を及ぼすわけですが、何らかの理由でこれが獲得できなかった場合、後々、様々な問題や病気を引き起こすことになります。すなわちこの基本的信頼こそ、人間が育つ上での基礎なのです。このように安心感、信頼感から出発することが健康のまた幸福の条件といえるでしょう。
 川で溺れたときの対処法を小耳に挟んだことがあります。急流に流されると人はどうしても不安に駆られ、早く岸に泳ぎ着こうとするわけですが、ついには体力を消耗して溺れてしまいます。助かる途は全身の力を抜いてリラックスするのだそうです。リラックスすると人間の体は浮くようになっているので流れに身を任せているうちに助かるチャンスも訪れるといいます。
 このように、行き詰まったり、困難に直面したときにこそ「大丈夫、これでいい」とありのままを受け入れる勇気を持つことです。心の奥底に基本的信頼、安心感を持つ人は強いものです。ここから出発することが困難克服の王道なのです。

投稿者: オボクリニック

2015.08.11更新

 相手を傷つけないように、相手の気分を害さないようにと痛々しいほど他人に気を遣い、自分の本音を殺して相手に合わせていった結果、自分自身も苦しくなり、お互いの関係も気まずくなってしまったという患者さんをよく目にする。人間関係を建前で保とうとした結果である。この人達に共通しているのは、相手に嫌われることを過度に怖がってしまう心理である。
 例えば10人の人がいたとしてそのうち9人の人は自分を評価してくれるとする。しかし、もし残りの一人が自分のことを嫌ったり、批判的だったら、もうその一人のことが気になってしまい、落ち着かなくなってしまうという。すなわちこの人たちはすべての人に気に入ってもらえない限り安心できないという奇妙な落とし穴にはまっているわけである。その結果、すべての人に認めてもらうために自分の本音を殺して、誰もが認める常識や建前に過剰適応しようとするのであろう。
 しかし、考えても見よう。建前だけで接してくる人と楽しくつきあえるであろうか。やはりそういう人とは表面的な関係で終わってしまうものである。その人とまた会いたいとは決して思わないはずである。
 一方、一流人物とか本物といわれる人は、相手に気に入られるかどうかよりも自分自身の考え、本音を相手に伝えようとするものである。たとえ、その発言が気分を害するような内容であったとしてもそれが自分を思ってくれる真心からの発言ということが分かれば、より深い信頼、友情に発展するものである。その結果、本音で生きる人は多くの真の友人を持つことができるのであろう。
 本音で自分自身を、また他人を思いやることの出来る広々とした境涯を築きあげたいものである。

投稿者: オボクリニック

2015.06.24更新

 いわゆる良い子というのは自分を見失った子とも言えるようだ。Sさんは小学校三年生の明るくかわいい女の子である。ある時お母さんがSさんの筆箱を見てみると見慣れない鉛筆が入っていた。聞いても友達にもらったとしか答えない。しかし、それがたび重なるので、追求したところ盗んだものだと言うことがわかった。いままでのSさんでは考えられないことなので訳を聞いてみると「悪い子になりたくなったの」と言う。
 このお母さんはそれまでうつ病で治療に通っていて、自分自身を再発見でき始めた矢先のことなので、自分の変化とも関係あるのではと直感して相談に見えたものである。「今までのお母さんと同じように良い子すぎて羽目を外せなっかたのでしょう」とアドバイスしたのであるが、そこでこのお母さんは考えて、夏休みの間中、Sさんと二人で「悪い子の練習をしましょう」と言いながら羽目を外して遊び回ったそうである。それまでも明るかったSさんはさらに輝くような明るい子になっていった。
 ところが、新学期になったら次第に暗い表情になり、やがて朝になると頭痛や腹痛を訴えて典型的な不登校になってしまった。理由は、良い子だったSさんは学校でしかられたことがなかったのに、学校でも羽目を外すようになって先生にしかられて今までに経験のないショックを受けたことがわかった。そこでお母さんはあわてずに「それじゃ、また悪い子の練習をしましょう」と二人で遊びに出かけたそうである。2、3日したら「このままお母さんにつきあっていたら本当の悪い子になるから学校へ行くことにした」と登校するようになった。それから数年経つが「しっかりした子になりました」とお母さんが報告してくれた。

投稿者: オボクリニック

2015.05.29更新

 S君は高校三年の受験生である。一学期の期末テストで躓いてから勉強に身が入らなくなり、自己嫌悪に陥るようになった。時には他人が自分のことを噂しているような気までしてきた。このままでは来年の受験に失敗するのが目に見えていると思うとますます追いつめられた気分になるのだそうである。S君は高校受験の時にも中二の終わり頃から精神的に不安定になって、眠れなくなり、精神科にかかったそうである。
 S君に限らず受験や課題に直面したとき、失敗を恐れて、不安になったり、緊張したりするものである。しかも失敗を恐れれば恐れるほど、S君のようにますます追いつめられていく。
 先日、本紙で次のような記事が目を引いた。ホンダ自動車の創業者本田宗一郎氏が自身の仕事を振り返り、「99%は失敗の連続であった。そしてその実を結んだ1%の成功が現在の私である」と語ったそうである。
 この話から昔やった遊びを思い出した。砂場で土まんじゅうを何段まで重ねられるか競うのである。たいていは二、三段で崩れてしまう。崩れてしまえば失敗だが、もし十段の積み重ねに成功して、1メートルの高さにまで積み上げることができたとする。これは確かに大成功である。しかし、この山はわずかな刺激で崩れてしまうもろさを持っている。一方、積んでは崩れ、積んでは崩れをくり返しながら積み上げた山は富士山のごとくすそ野が広がっているから、容易には崩れないはずである。
 私たちはなるべく失敗しない人生を望んでいる。だから10%の失敗でも絶望的になってしまいやすい。あらためて、本田宗一郎氏のすごさは、99%の失敗をする自分自身を信じ続け、その上に積み上げていったことだと感嘆する。

投稿者: オボクリニック

2015.05.26更新

 同じことをしても、価値観の違いでずいぶんと結果は違ってくるものである。
日本人は「働かざるもの食うべからず」という。ラテン系の人は「遊ぶために働く」そうである。
 45才のTさんは二年前の秋頃より頭がしびれるようになり、やがて後頭部の頭痛がひどくなったため、職場を一ヶ月休んだ。少し改善したので出社してみたが、やはり仕事どころではないため、受診された。再び病気休暇を取ったが、職場復帰を焦るのでなかなか本当のリラックス、リフレッシュができない。しかし、いつまでも休んではいられないということで復職した。その後は仕事量を減らしてもらってなんとか仕事には行けているが、休みがちなために給料も半減してしまった。
 Tさんにこんな例え話をした。「無理して働かせて倒れた馬がいるとします。少し休ませたからもう良いはずだと再び働かせる。しかし、馬は疲れが取りきれていないためにすぐ休もうとする。すると、甘えだ。我が儘だ。と責めたて、働きの悪いその馬にさらに鞭打つ。これを続けて果たしてその馬がいつか元気になることができるでしょうか」このように馬に例えてみるとずいぶんひどい話であるが、似たようなことを自分自身にしてしまうのがTさんのような真面目な人の特徴である。自分に対しては相当残酷なことをしてもおかしいと感じないところが奇妙である。その背後に「働かざるもの食うべからず」という一見もっともらしく、しかし残酷な価値観があって人を追い立てているからであろう。ラテン系の人たちのように「遊ぶために働く」といった価値観であればそこまで自分自身を追いつめることはしないであろう。ともあれ、衆生所遊楽という言葉があるように仕事も人生も味わい楽しんで生きていきたいものである。

投稿者: オボクリニック

2015.03.11更新

 Kさんは二十代半ばの女性会社員であるが、職場の人間関係のストレスで過食症になって受診されている。イライラすることも多く、時々それが高じると手首を切ることもあるという。会社ではKさんは同僚や上司に気を遣い、嫌われないように、いつもみんなと協調していくことをモットーとしている。しかし、協調していこうと思えば思うほど緊張が高くなり、かえって失敗したり、周りから嫌われてしまうのだそうである。Kさんにとっての協調性は自分の本心や感情を殺して周りに合わせていくことになっているわけである。このKさんのような落とし穴にはまっている人は少なくない。
 我が国では「和を持って尊しとす」といわれるように団結・協調性は非常に重要な価値である。しかし、二通りの協調性があることに気づかないとKさんのような落とし穴にはまってしまう。すなわち、自分らしさを殺す協調性と自分らしさを生かす協調性である。前者のように自分の本音や個性を殺して協調するというのは団結というより烏合の衆になってしまうといえよう。しかし、団結や協調性をいう多く場合、我が儘や自己中心性を排さなければならないと強調するあまりに前者の協調性に陥ってしまいがちである。
 黒澤明監督の「七人の侍」という有名な映画がある。野武士集団の略奪に苦しめられている村をそれぞれ個性的な七人の侍が村人と一緒に守っていくというあらすじである。それぞれが絶妙な役割を果たして団結を強めていくことによって、目的を達っすることができるわけである。
 このように一人一人の個性を輝かせながらおたがいに理解し合い、守りあって団結・協調していく。この生き方が本当の協調性ではなかろうか。

投稿者: オボクリニック

2015.03.11更新

 Sさんは無口でまじめで仕事熱心な30才の青年であるが、ここ数年、仕事上でいつも上司から怒鳴られ、その中で歯を食いしばって耐えている。時折数日会社を休むことがあり、「疲れた」が口癖で、下痢も時々あるそうである。これはストレスで体が悲鳴を上げている症状であるが、ついにここ数ヶ月、会社を休み、人を避けて部屋に閉じこもるようになったとのことで来院された。
 Nさんは40才の主婦であるが、子供の学校の役員を断り切れずに二つも引き受けてしまった。自分なりに頑張ってやりきっていたが、些細なことで誤解され、それが変に伝わって悩み、ついにうつ状態に陥った。今では子供の関係のお母さん方が怖くて電話にもでられず、家からも一歩も出られない。
このお二人に共通しているのは、ひたすら我慢と忍従で事態に対処し、その結果破綻していることである。しかも、元々、自己評価が低く自責的だったことが破綻を早めたようである。すなわち、苦労し重荷を背負っている自分自身への思いやりや配慮が足りないどころか、少しでも事態が悪化したときにはかえってこんな自分は情けないと責めたり、追いつめたりしてしまうのである。
 仏法用語で能忍という言葉がある。仏の別称であり、能仁とも書く。能く忍び、能く慈悲を施すという意であるが、この能忍というのは一見してみると我慢や忍耐に似ている。しかし、能忍というとき仏は自身の尊厳性に立ち、衆生を大きく包んでいくであろう。すなわち自分自身を殺して事態を忍ぶのではなく寛い大きな心で一切を受け止めていくわけである。むしろ自身を最高に活かしている姿といえよう。
 人生に苦難はつきものである。その苦難を自身の成長に活かすためにも、自分を殺して我慢するのではなく、広々とした心で自身を包みながら能忍の心で人生を謳歌したいものである。

投稿者: オボクリニック

2014.10.17更新

 ペルソナとはパーソナリティ(人格)やパーソン(人)の語源となったラテン語で、本来は劇の中で登場人物がかぶる仮面を意味した。そこから、やがて人の役割や社会的な適応を意味するようになった。例えば教師らしさや医者らしさといった役割としての「らしさ」であって、必ずしも生身のその人らしさでは無いところが重要である。人にはこのように外面的な側面と内面的な側面、言い換えれば建前の自分と本音の自分がある。ペルソナというのはこの建前の自分である。
 ところで、このペルソナが強くなりすぎることがよくある。あまりに立派な先生やいわゆる善い人をやりすぎるといつの間にか本来の自分が見えなくなってしまうのである。多くの患者さんを見ていていつも実感するのがこのペルソナの強さである。すなわち、人に気を遣い周りに合わせてばかりいて、本音の自分を殺しているうちにいつしか自分の心の声を聴く能力が減退して、本当は何をしたいのか自分自身の本心が分からなくなってしまうのである。
 Iさんは二十代後半の女子会社員であるが、人前で話すことや人に会うことが苦痛で会社へ行けなくなり、無気力でじっと家の中にいることに耐えられなくなったということで来院した。Iさんは二年前にもうつ病で一年間通院していたという。Iさんは確かにうつ的なはずなのにどういう訳か笑顔である。落ち込んでいても腹が立っていても人前ではいつも笑顔になってしまう。いわゆるペルソナが顔にへばりついてしまっているわけである。その後、二年間の通院で本音を出して人とつきあう練習をした結果、Iさんはすっかりペルソナを脱げるようになってきた。今では、恋人に三行半を突きつけたり、上司に食ってかかって自己主張したりできるようになりましたと本音の笑顔で語るIさんの顔は輝かしい。

投稿者: オボクリニック

2014.08.02更新

 Wさんは某国立大学の大学院博士課程に在籍している30才の独身の女性であるが、最近、がんばればがんばるほどせっぱ詰まり、体力も気力も限界を感じているという。Wさんは、大学卒業後、いったん就職したが、会社の仕事に飽きたらず、再び学問の道へ進もうと大学院に入った。しかし、周りの優秀な学生と自身を比較して劣等感をかき立てられ、その一方、研究の行き詰まりもあって限界を感じてのうつ状態ということのようである。しかし、その背後にはもっと深い理由があるようだ。
 Wさんは小学生の頃から成績優秀だったが、今まで一度も親からほめられたことがない。試験で満点を取っても、その程度で満足してはいけないとしかられた。その結果、彼女にはいつも不全感が付きまとい、どんなに努力しても少しでも行き詰まると自分が怠けていると感じられ、自責の念に苛まれるという。
 Wさんの親御さんも彼女をだめにしようと厳しい態度をとったわけではない、むしろ深い愛情のあらわれだったはずである。しかし、その価値観が否定の上に向上を求めようとしてしまったところにこの行き詰まりの原因があった。否定はどこまで行っても最後は自己否定の結果となるものである。日本文化は否定の文化といえよう。したがって、親が子供に対するときも、ともすれば否定的になりやすい。子供を甘やかしてはいけない、うぬぼれさせてはいけない、油断させてはいけないなどとつい子供の頭を押さえるようなしつけをしてしまいがちである。
あるプロの写真家が弟子を育てる時、弟子たちの写真の欠点を直している頃よりも、個性、長所を指摘しそれを伸ばすように指導したとき、その長所が伸びてくるにしたがって、それまでの欠点がむしろ個性的表現として生きてくるようになったと述懐していた。人は肯定されるときその力を存分に発揮できるものである。

投稿者: オボクリニック

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