Wさんは某国立大学の大学院博士課程に在籍している30才の独身の女性であるが、最近、がんばればがんばるほどせっぱ詰まり、体力も気力も限界を感じているという。Wさんは、大学卒業後、いったん就職したが、会社の仕事に飽きたらず、再び学問の道へ進もうと大学院に入った。しかし、周りの優秀な学生と自身を比較して劣等感をかき立てられ、その一方、研究の行き詰まりもあって限界を感じてのうつ状態ということのようである。しかし、その背後にはもっと深い理由があるようだ。
Wさんは小学生の頃から成績優秀だったが、今まで一度も親からほめられたことがない。試験で満点を取っても、その程度で満足してはいけないとしかられた。その結果、彼女にはいつも不全感が付きまとい、どんなに努力しても少しでも行き詰まると自分が怠けていると感じられ、自責の念に苛まれるという。
Wさんの親御さんも彼女をだめにしようと厳しい態度をとったわけではない、むしろ深い愛情のあらわれだったはずである。しかし、その価値観が否定の上に向上を求めようとしてしまったところにこの行き詰まりの原因があった。否定はどこまで行っても最後は自己否定の結果となるものである。日本文化は否定の文化といえよう。したがって、親が子供に対するときも、ともすれば否定的になりやすい。子供を甘やかしてはいけない、うぬぼれさせてはいけない、油断させてはいけないなどとつい子供の頭を押さえるようなしつけをしてしまいがちである。
あるプロの写真家が弟子を育てる時、弟子たちの写真の欠点を直している頃よりも、個性、長所を指摘しそれを伸ばすように指導したとき、その長所が伸びてくるにしたがって、それまでの欠点がむしろ個性的表現として生きてくるようになったと述懐していた。人は肯定されるときその力を存分に発揮できるものである。